タレントや女優として幅広く活躍しているデヴィ夫人。
その若い頃の姿が可愛すぎると話題なんです!
そこで今回は、デヴィ夫人の若い頃の可愛い画像や、昔から現在までの時系列の変化、若い頃との画像比較、髪型についてまとめました!
【画像】デヴィ夫人の若い頃(昔)が可愛すぎ!

タレントとして多くのファンを魅了してきたデヴィ夫人。
プロフィールがこちら↓
名前(本名及びインドネシア名):ラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ
旧名及び日本名:根本 七保子(ねもと なおこ)
生年月日:1940年2月6日
職業:タレント
身長:159cm
血液型:A型
趣味:絵画
そんなデヴィ夫人の若い頃が可愛すぎると話題なんです!
早速、デヴィ夫人の若い頃の画像を見てみましょう。

可愛い!正統派美人!

見つめられるとドキドキします。

デヴィ夫人、若い頃から色気があって可愛いですね!
デヴィ夫人の若い頃(昔)から現在まで時系列でまとめ!

若い頃から美しくて可愛いデヴィ夫人ですが、現在までどんな経歴を辿ってきたのか、10代から50代までを時系列でまとめてみましょう!
10代の頃

10代の頃のデヴィ夫人、あどけない笑顔がとても可愛いですね!
そんなデヴィ夫人は、こんな10代を過ごしています。
・1955年(15歳):定時制高校に進学し、千代田生命保険(現在のジブラルタ生命保険)に就職
・1955年(15歳):新東宝制作の映画「青ヶ島の子供たち 女教師の記録」(白黒映画)にエキストラ出演
・1956年(16歳):父が亡くなった事に伴い、家計が苦しくなり高校を中退
・1957年(17歳):赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く
・1959年(19歳):インドネシアへの開発援助に伴い、東日貿易の秘書という名目で、インドネシア建国の父であるスカルノ初代大統領の元に就く

15歳の時、デヴィ夫人は定時制の高校に通いながら、貧しい家計の維持と弟の大学進学費用を稼ぐため、
- 千代田生命保険(現在のジブラルタ生命保険)に就職
- 東芸プロダクションの2期生で入団し、映画のエキストラ出演
- 保険の仕事の昼休みや休日には喫茶店やコーヒーショップなどでアルバイトを掛け持ち
寝る間も惜しんで勉強と仕事に励みました。

10代の若い頃から家族思いでバリバリ仕事してたんだなぁ~

1956年の16歳の時に、父が亡くなり高校を中退します。
17歳になったデヴィ夫人は、財界や政界の大物が訪れる日本有数の高級クラブ「コパカバーナ」で働くことになります。
お店ではプリンセスと呼ばれ、人気NO.1のホステスとして活躍!
さらに、お店には外国人のお客様が多かったため、学生時代から得意の英語力を磨いていったそうです。
その後、19歳の時にインドネシアのスカルノ大統領と出会い、磨いた英語力でインドネシアへ渡ります。
20代の頃

ますます美人で可愛くなっていく20代のデヴィ夫人。
20代の頃の経歴を見てみましょう。
・1962年(22歳):スカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる
・1962年(22歳):母親がマスコミの執拗な取材のストレスで死去。さらに、実弟が自宅アパートで自殺
・1965年(25歳):軍事クーデターでスカルノ大統領失脚。デヴィ夫人は大統領のもとを離れ、逃げ切る
・1967年(27歳):日本に戻り、第一子の娘・カリナを出産(スカルノ大統領の8番目の子供)
・1967年(27歳):出産後、フランスに亡命

デヴィ夫人は、インドネシアに渡って数年は愛人の1人でしたが、22歳の時に正式にスカルノ大統領と結婚します。
第3夫人として、政治的にも活躍するようになります。
日本でも大きく報道されて話題に!

大統領からプロポーズされるほどの美しさにうっとり~!

結婚した3年後の1965年に、スカルノ大統領は国内の軍事クーデターにより失脚してしまいます。
スカルノは軟禁状態におかれ、子供を身ごもっていたデヴィ夫人は大統領のもとを離れて、日本に戻ります。
そして27歳の時、都内病院にて第一子の娘(名前は「カリナ・サリ・デヴィ・スカルノ」)を出産します。
出産後、日本でもマスコミに追われたデヴィ夫人は、子供を連れてフランスに亡命しました。
30代の頃

30代を迎えたデヴィ夫人の経歴を見てみましょう。
・1970年(30歳):スカルノ大統領死去。(のちに、第3夫人としての遺産分与が行われる)
・1970年代:芸能活動を開始。日本で芸能人(タレント)としても活躍
・1974年(34歳):雑誌「GORO」の創刊記念号で、写真家・デイヴィッド・ハミルトンの撮影によるヌード写真を披露
・1974年(34歳):著書「パリからの手紙―世界に生きる女の華麗な視線」を出版
・1978年(38歳):著書「デヴィ・スカルノ自伝」を出版。根本七保子38歳の半生記を綴る

1974年の34歳の時に、雑誌「GORO」の創刊記念号(1974年6月13日号)で、写真家・デイヴィッド・ハミルトンの撮影によるヌード写真を披露しました。
「GORO」は、小学館の1970年代・1980年代の日本を代表する人気グラビア系男性向け芸能情報雑誌です。

芸能人としての幅も広げて、ますます魅力的になっていくなぁ~

同年、デヴィ夫人はフランスに亡命後の社交界生活を綴り、著書を出版します。
大統領夫人という地位、財力、若さ、美しさがあり、ただ一人の東洋人であったことで、「東洋の真珠」「社交界の華」と呼ばれて引っ張りだこだったそうです!
40代の頃

40代のデヴィ夫人はどんな経歴だったのでしょうか?
・1979~1985年:クイズ番組「アイ・アイゲーム」にパネリストとしてレギュラー出演
・1980年(40歳):インドネシアへ戻り、石油関連事業を興す
- フランスの建築会社フジェロル
- 石油技術会社テクニップ
など5つの会社のエージェントとして国債入札
・1980年(40歳):石油ガスのプラントなどを建設

40歳でインドネシアに戻って、スカルノ大統領の遺産を相続し、不動産や石油関連事業を手掛けます。
この時、インドネシアで習っていたフランス語が大いに役立ちました。
フランス語の習得には、本を読んだり、専門的なことは一から人に聞いたりして猛勉強したそうですよ!

若い頃も可愛いけど、40代になってオトナの魅力が増したデヴィ夫人もすごく素敵!
デヴィ夫人はスハルト政権下、非常に苦しい戦いの中でも、見事に石油関係のビジネスを成功させます。
そして、メンテン地区という高級住宅地に自分の力で家を建てました!

1979年からスタートしたクイズ番組「アイ・アイゲーム」にパネリストとしてレギュラー出演!
世界的セレブの一人として実業家だけでなく、日本で芸能人(タレント)としても活躍していきます。
50代の頃

50代の頃のデヴィ夫人、歳を重ねても年齢を感じさせない程のオーラがありますね!
そんなデヴィ夫人は、どのような50代を過ごしたのでしょうか?
・1991年(51歳):アメリカ・ニューヨークに移住
・1992年(52歳):傷害罪で逮捕。禁固60日・罰金700ドルの実刑判決、34日間刑務所に収監される
・1993年(53歳):ヘアヌード写真集を出版
・1997~2000年:バラエティ番組「快傑熟女!心配ご無用」熟女女性パネラーとして出演
・1999年(59歳):著書「愛をつなぐ」を出版
1992年、デヴィ夫人は傷害罪で逮捕されてしまいます。
アメリカコロラド州で、第4代フィリピン大統領の孫娘(名前:ミニー・オスメニャ)に侮辱されたと思って激怒したデヴィ夫人は、手に持っていたシャンパングラスでミニーさんの顔面を殴打したそうです。
ミニーさんは、顔に37針を縫う大ケガを負いました。
この時、デヴィ夫人は傷害罪で逮捕された上に、禁固60日・罰金700ドルの実刑判決。
さらに、34日間刑務所に収監されました。
犯行の動機は、数ヶ月前VIPパーティで、ミニーさんが「フィリピンの副大統領になる意志がある」と発表し、それを聞いたデヴィが吹き出して嘲笑したことで2人の関係が悪化したことが原因だったようです。
のちにデヴィ夫人は「刑務所での生活は学生寮のようで楽しかった」と語ったそうですよ!

50代になってもバイタリティー溢れる行動力に驚きの連続だなぁ~

デヴィ夫人は59歳の時に、著書「愛をつなぐ」を出版します。
日本で芸能界のご意見番として人気のデヴィ夫人ですが、国際的にも活躍し、社会活動にも積極的に取り組んでいるんです!
国や言葉などの壁を乗り越え、様々な人々が愛で満たされた世界を願うエッセイ集です!
デヴィ夫人の若い頃(昔)と現在を画像で比較!
デヴィ夫人の10代~50代までの画像や経歴を見てきましたが、現在は、なんと83歳のデヴィ夫人。
とても80代とは思えませんが、若い頃と現在のデヴィ夫人は変わっているのでしょうか?
昔のデヴィ夫人と現在のデヴィ夫人を画像比較してみましょう。

若い頃も現在も、なんて可愛くて美人なのでしょうか!

美しすぎて惚れ惚れしちゃう
メイクは若い頃とは違っていますが、歳を重ねても変わらずとても美しいデヴィ夫人ですね!
デヴィ夫人の若い頃(昔)の髪型は?
デヴィ夫人は若い頃どんな髪型だったのでしょうか?

若い頃の髪型はさらさらのロングヘア。
「東洋の真珠」と称されるほどの美貌で、品格を感じさせますね!
スカルノ大統領に見初められたのも納得出来ます。

若い頃の髪型もすごく美しくて可愛い!

そして、現在はふんわりとしたまとめ髪。
いろんな髪型を経験してきたデヴィ夫人ですが、どんな髪型でも似合っていますね!
若い頃から驚くほど美しくて、現在でも年齢を感じさせない魅力の持ち主であるデヴィ夫人。
今後の更なる活躍に目が離せません!
これからも応援しています!